物事の二面性 ~東日本大震災と原発事故経験からの考察~

2011年3月11日の東日本大震災のときに、福島市に住んでいました。地震による直接的な被害は、自宅屋根瓦が半分崩壊し、職場の本棚が倒れて椅子が壊れたことと、1時間ほど割れた本棚ガラスの掃除をしたことくらいでした。しかしながら、翌日からは原子力発電所からの放射性物質の放出が始まり、通常の生活に戻るには3カ月近くの時間を要しました。

水のない生活

一番不便だったのが水不足です。水道水は3週間でませんでした

水がないので、洗濯ができません。そのためになるべく同じ服を数日以上連続して着用します。これが苦痛かというと、シャワーを浴びた後に同じ服を着用するのは苦痛かもしれませんが、シャワーさえ浴びないので時間の流れがゆっくりになったように感じるだけでした。シャワーを浴びないと臭くなる、もっともです。でも周囲の人が、(女性を含めて)皆同じ状況ですので、あまり気にならなかったです(私だけ?)。福島県の3月はまだまだ寒く、この低い気温が幸いしたとも言えます。

震災数日後は飲み水さえも不足していました。同僚が日中から「フリービール」を飲んでいたのが印象的でした。「いいね!」と声をかけると、寂しそうに「スーパーにもコンビニにも水売ってなかったんですよ。奥さんと子供に水を飲ませて、自分はこれ(フリービール)です」と言われました。

水のありがたみを感じました。

高線量の水が足にかかる

倉庫の屋根からの水を大きなバケツに貯めていました。屋根に落下した放射線量の高い埃などを含むので、飲料水にはできませんが、トイレを流す水には利用できます。朝用をたしてから、庭に出て小さなバケツにその水を汲んでトイレに流そうと運んでいるときにその事件は起きました。高線量の水がポタっと靴下に垂れました・・・。

庭の写真です。本来は庭木用に水を貯めていました。

高線量の水が長時間靴下に付着すると、皮膚がんになるような気がして(根拠ありません)、靴下をすぐに替えました。水がなく洗濯できないこの時期に、履いたばかりの靴下が履けなくなったときは、とても悲しかったです。

ガソリンと水

テレビのアナウンサーは「福島県民の皆さん、外出をするときは、なるべく車で出かけてください。家に帰った後は服を着替えて洗濯し、シャワーを浴びてください」と言います。何度も、何度も。

この言葉を聞いて、東京と福島の間の大きなギャップに気付きました。

ガソリンがない(販売していません)ので、車の運転は必要最小限しか乗れません。通勤でさえ乗り合いでなんとかしていた時期です。移動は、徒歩か自転車を優先していました。断水で水道水がないので、もちろん洗濯もシャワーもできません。

日本酒の差し入れ

震災から10日ほどたったころ、荒涼とした職場に外部から初めて荷物が届きました。それは以前の職場の先輩からの私宛の荷物でした。職場の同僚から「荷物届くんだ~」との歓声が揚がります。この時期にどんな重要な荷物なのかと皆興味深々でした。

中を開けると「日本酒の一升瓶」!!!!!!

喜びのあまり、その場にいた数人と涙を浮かべました。お酒の飲めない友人までもが感動してくれました。その節は、ありがとうございました!

失ったものと得られたもの

水不足でいろいろと不便はありましたが、飲料水があるので、命に関わることはありません。トイレは隣家の井戸水で流したり(Wさん、ありがとうございました!)、昔の生活を少しだけ懐かしむこともできました。シャワーを浴びる時間も節約できたので、その時間を自分の時間として利用できました。(放射線被爆からの避難で)家族がいなくなったのは寂しいですが、その分好きな読書、映画鑑賞にどっぷりと浸ることができました。

戦争を経験した戦友とは特別な仲間意識が芽生えるといいます。戦争ではありませんが、この苦難を共に乗り越えた仲間との絆は強まり、隣近所とも仲良くなりました。東日本大震災で多くの悪いことがありましたが、良いこともたくさんありました。本来の自分を見つめる良い機会であったとも思っております。良い面に目を向ける習慣が、今の前向きな生活に繋がっていると思っています。

あらゆる事象には、良い面と悪い面の二面性があります。大震災には悪い面がありましたが、多くの貴重な体験ができる良い面もありました。辛いなあと感じる事象でも、捉え方によっては良い面が見えてきます。辛いときこそ飛躍のチャンスが隠れていると今でも思っています。