都萬神社「日本酒発祥の地」宮崎県西都市
西都市の街並みから少しだけ離れたところに都萬神社があります。御創建の年代は定かではありませんが、この神社が初めて史書にみえるのは、「続日本後紀」で、仁明天皇承和4年(西暦837年)8月の条に「日向国子湯郡妻神宮社に預かる」とあり、また「三代実録」の天安2年(858年)の条にも神階昇格の記載があります。非常に歴史のある神社の一つのようです。木花開耶姫命 (コノハナサクヤヒメノミコト)を御祭神としています。木花開耶姫命は、古来山火鎮護、農業、酒造の守護神、婚姻、子授安産の霊徳神として崇敬を集めています。
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御祭神の系譜
伊勢神宮の御祭神である天照皇大神の孫である瓊瓊杵命が娶った相手が、木花開耶姫命です。木花開耶姫命は、日本神話で最も美しいと誉れ高い女神とされます。3人の御子を産みますが、米で味のよい天の甜酒(あめのたむざけ)を醸し、三皇子誕生をお祝いしたと言われています。三皇子は、火照命・火須勢理命・火遠理命の3人で、火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇となります。
神武天皇が紀元前660年ころの人物なので、木花開耶姫命は紀元前700年よりも以前の存在と予測されます。そんなときにお酒(おそらく日本酒の起源となるような)を飲んだという記録があります。
飲酒の起源
人類がアルコールを嗜むようになったのは、諸説あります。30000年前の旧石器時代にトルコ東部などで古代ワインが偶然から生成され、嗜まれていた可能性があります。当初は(人間もしくは猿などの動物が)果実を石の窪みなどに置いておいたら、低濃度のアルコールができていたという偶然から生じたと考えられます。確実にお酒を醸造したという事実は、紀元前8000年に始まる新石器時代の中国と近東ではその遺跡から発酵飲料用の土器が存在し、その時代にはアルコールを醸造し嗜んでいたようです。新約聖書に当たり前のようにワインを飲むシーンがあります(紀元1世紀)が、世界のお酒の歴史はとても深いようです。
”日本酒発祥の地”は、実は日本全国に複数存在します。有名なのは、奈良県奈良市と兵庫県伊丹市にあります。奈良市には、山間の正暦寺に「日本清酒発祥之地」の石碑があります。「御酒之日記」という古文書に、御酒の製造法が書いてあります。15世紀半ばに、醸造したお酒が販売された記録が残ります。伊丹市では、江戸初期の秘伝書「童蒙酒造記」はこの地で記された可能性があります。1600年ころにこの地でお酒を作ることに成功したという記録があります。ある程度の規模で商売として日本酒が作られ始めた時代がこのころです。酒造り職人のことを「蔵人」、それらの頭が「杜氏」と呼ばれました。この時代の「日本酒」の製法は、ほぼ現代の日本酒と大きな違いはないレベルと思われますが、日本酒の先祖に相当するお酒はもっともっと時代を遡ることができます。
日本におけるお酒の起源は、縄文時代(13000年前から紀元前300年)ではないかと推測されています。縄文時代の土器に、有孔鍔付土器というものがあり、鍔の上にたくさんの小孔があるところから酒の仕込み壺に使用されていたと推測されます。ただし、内部の色の変化からは、米からのお酒ではなく、果実からのお酒だった可能性が考えられています。
3世紀に成立した「魏志倭人伝」には倭人はお酒をたしなむという記載があり、中国では既に「米から生成されたお酒」が発達していたことを考慮すると米からできたお酒がこの時代に既に存在したと推測されます。稲作が普及した弥生時代(紀元前4世紀以降)に米が生活の基盤となっており、時代の流れと一致します。
都萬神社のお酒の歴史は縄文時代の終わり頃に相当しますので、お酒を嗜んだ可能性は充分にある時代です。神話の中のお話ですが、都萬神社はロマンを感じさせる古代「清酒発祥の地」と呼んでよさそうです。宮崎県の観光資源の一つを発見した気分になりました!
妻のクス
都萬神社には、もう一つ世界に誇るものがあります。国指定天然記念物の「妻のクス」です。樹齢は1200年で、幹周は1080 cmとされます。元々空洞があったところに火遊びが原因の火災に数回見舞われ、1993年の台風時に幹が真半分に割れ落ちてしまいました。樹齢1200年は世界でも貴重な財産で、支柱でその枝を支えていますが、見るのも辛くなってしまう状態になっています。
真夏の暑い日に参拝しましたが、境内は日陰も多く、暑さはそれほど感じませんでした。日本酒発祥の地が宮崎にあるというのは、なんとも誇らしい気分になりました!
参考文献
永山久夫.「日本の酒 うんちく百科」2008年
パトリック・E・マクガヴァン 藤原多伽夫訳.「酒の起源」2018年