多角的に眺める ~プラスとマイナス~

「人生には何ひとつ無駄なものはない」(遠藤周作著、鈴木秀子監修)を読んでの考察2です。「あの人の人生は・・・」というと、映画や小説に出てくる劇的なものを想像しますが、多くの人生はその奥に潜んだ劇的ではないものです。即ち、劇的なものが表面には見えない平凡な日常が多くの人生です。でもこの平凡があるからこそ劇的なものがあるとも言えますので、両者はプラスとマイナスの関係で共存していると言えます。

同じ人間でも、ある面では劇的で、ある面では平凡です。遠藤さんにとって奥さんとの出会いを劇的で神秘的と表現する一方で、駅前で奥さんとすれ違っただけの人にとっては、平凡な通行人に過ぎないと表現します。

「物事にはマイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがあります。半年間の病状生活は肉体的にはマイナスでしたが、このマイナスのお陰で自分の人生や他人の苦しみを察することができるようになった」

どんな物事も、個人の特性も、異なる立場の人間にとっては、異なる解釈になります。ハラハラドキドキする映画はある人にとっては生き甲斐に近い神様からの賜物であっても、別の人にとっては心が荒れる乱暴なだけの画面に過ぎません。敵の敵は味方という政治的な理論のあり、立場によって価値は正反対になることもあります。

「どんなに素晴らしい主義思想も限界を越すとマイナスになり、どんなに素晴らしい善も限界を越すと悪になります。」

過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言います。どんな善い行いであっても、過剰になった時点でそれは別の価値になってしまう可能性があります。その限界がどこにあるかを自分で感じ取る必要があります。自分で感じることが難しい場合は、それを示唆してくれる人が近くにいると良いです。そんな意味でも、自分のために意見を言ってくれる存在は大切です。

「一人の人間の中にはいろいろなチャネルがあることを知ることです。」

自分自身は、こんな人間だと決めつけるわけではなく、いろいろな価値観を持った人間として生きると充実した人生になるという意味です。周囲の対応がいろいろと変化することを実感することもできます。

遠藤さんは、挫折も失敗も病気も恋愛もプラスにしようと思えばプラスになっていくという知恵を教えることが本当の教育である、と締めくくっています。教育の現場で、物事の二面性マイナスをプラスにする発想法を事あるごとに触れれば、悲しみで落ち込み続ける人は減るように思いました。柔軟な思考過程がいつの時代にも重要です。

引用(上記の「紫字」部分)
遠藤周作著、鈴木秀子監修. 人生には何ひとつ無駄なものはない. 朝日新聞出版 2005年