ニーチェの価値観 ~哲学のはじめの一歩~

ニーチェのフルネームは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)です。 1844年にドイツで生まれ、1900年に永眠しました。ドイツ連邦・プロイセン王国出身の哲学者、古典文献学者です。

「ツァラトゥストラはこう言った」、まず挫折

「ニーチェを読んだ」というと、なんとなく格好良いように感じます。私自身もなんとなくあこがれていました。格好はともかくこれほど有名な人の著書を、一冊も読まずに人生を過ごすのはなんだか違うような気がして、岩波文庫の「ツァラトゥストラはこう言った」(上・下 ニーチェ著、氷上英廣訳)を購入しました。読み始めると、文章自体は読みにくい文章ではないです。しかしながら、内容に馴染みがないためか、なかなか内容が頭の中に入ってきません。

結局、上巻の半分にも到達しない段階で挫折しました。もっと入門者用の書物からと、アマゾンからオーダーしたのが、漫画「ツァラトゥストラはかく語りき」(堀江一郎)と「飲茶の 最強!のニーチェ」(飲茶)です。前者はマンガで、後者は対話形式で内容が説明されるので、ともに素人にも理解しやすいです。その後、2024年正月に「ニーチェ入門」(竹田青嗣)を読みました。

概要を理解したうえで、岩波文庫の書籍に取り組みます!

概要を理解してから

マンガで概要(流れ)を理解します。じっくりと読んでも30分かかりません。次に「最強!のニーチェ」。初めに、ニーチェの書物の内容にはいくつもの解釈があり、著者の解釈はその一つです、と丁寧に自分の書籍の位置づけを説明してくれます。「ツァラトゥストラはこう言った」は、聖書のような位置づけを目指したとの記載もあり、聖書同様にいろいろな解釈ができるように構成したのかもしれません。

少し時間をおいて、竹田さんの著書を読むと、概要が理解できました。竹田さんの考えるニーチェ思想の問題点も理解できました。

以下は、哲学とは無縁の者(ひじき)が、勝手に解釈した内容ですので、ニーチェの主論とは大きく異なる可能性があることをご了承ください。

宗教の始まり

民族間の争いでは、負けた民族が勝った民族を支配します。負けた民族は殺されることもありましたが、いわゆる奴隷の扱いを受けることもあります。そのような中で、奴隷となった人々の精神的な安定を保つために生まれたのが宗教です。

現世がとても辛い人生であっても、悪いことさえしなければ、来世で天国に行ける(幸せになれる)というような思想です。辛い現世から逃避して、明るい将来を夢見て今を少しでも楽しく生きる考え方と解釈できます。ニーチェは主にキリスト教を念頭に話を進めます。

病気で辛い立場の患者さん、死刑囚など、死を目の前にした場合の「牧師さんの役割」は誰もが否定できないと思います。宗教の起源を考えると、その効果と意味は一理あるのかもしれません。

辛い立場に至ってしまったときに、別の空想の世界(来世など)に逃げ場と作って、今の自分を慰めるような、また強者を貶める発想をルサンチマンと言います。

「神は死んだ」

この言葉は、ニーチェの言葉の中でも最も有名な言葉の一つです。人の価値観の本質に関する話題をする際には、まず、その価値観の元となっている部分に疑問符を持ってほしいという発想です。頭の中を一回リセットしましょう!、と言われているようです。無宗教と言われている現在においてもタブーに近い響きを持っています。

人間の存在は、生まれながらの「生きる意味」は持っていません。昆虫や動物にも、生まれながらの「生きる意味」がないことと同じです。そのことを理解するには、自分が宇宙船に乗って、別の星にたどり着いた状況をイメージするとわかりやすいです。その星の地表に生物が存在したときに、その生物が「生きる意味」を持っていると想像できるか、という感覚です。「意味」の判断は難しいですが。

科学的な考え方では、ダーウィンの進化論をリーズナブルだと考えると、神様がヒトを作ったという考え方はなかなか難しいことを多くの人は理解しています。

ニーチェをテーマにした著書は多数あり、インパクトが強いこの言葉を表面に持ってきている場合が多いです。でも「神は死んだ」という言葉は、ニーチェにとっては人々が現状を気づくためのアイスブレーキングの一言に過ぎません。

虚無主義(無気力主義、ニヒリズム)

「人間には生きる意味がないのか~」と考えてしまうと、多くの考える力がある人間は全てに意味がないと考えてしまい虚無主義(無気力主義、ニヒリズム)に陥りそうになります。そうなってしまうと「生きがい」を失います。うつ病に近い精神状態です。

「生きがい」を失うと、ただただ働いて暇を潰すだけの人間(これを末人と定義されます)となり、この末人が将来増加するであろうとニーチェは予測しました。実際にニーチェ没後100年以上の現代にて、末人は増加しているように私には感じられます(証拠となる統計はありませんが・・・)。

「末人」となってしまうことを回避するには、「未来(来世)」を重視する宗教的な考え方はやめて、「現実」を重視して、今を楽しく、充実した瞬間にすることに集中するべきと述べます。この瞬間を充実させて生きることができる人を「超人」と呼び、そうなることを強く推奨しています。超人の定義はいろいろとあるようですが、自分の中で生きるための価値観が確立しており、生きがいのために宗教的な考えを必要としない、という定義でよさそうです。最終的には、人間にとっての宗教の価値を否定し、その代わりとなる考え方を提案しています。

永遠回帰

これは、全ての事象は長い長い時間の中では、同じことを繰り返すという発想です。

だから、一つ一つの事象に意味はないという考えと、同じことを何度も繰り返すのであれば、楽しい方が良いでしょうという考えが並立します。ルサンチマンやニヒリズムは、理解し同意できる部分が大きいのですが、この永遠回帰に関してはなかなか受け入れ難い発想でした。

ニーチェにとってみれば、キリスト教的な道徳から離脱するための一つの考え方を提示しようとしたのだと解釈しました。

考察

「将来の何かのために」「ある価値観における善行のために」ということ(目標)には、実はあまり意味はないという解釈は、実際に眼から鱗が落ちたような気分になりました。(周囲の人の、その人なりの価値観を邪魔しなければ)自分が充実できるもの・行動を見出して、それを楽しむことが本当に生きていることになる(超人になる)という解釈は、私にとっては新鮮で、ぶれない価値観の一つと考えました。

幸せになるための価値観として「他人からの評価を気にしない」という考え方があります。ニーチェ自身は神様の存在は否定しても、善行そのものを否定しているわけではありません。善行を積むことは、自分の心の充実に直結し、長期的にも「情けは他人のためならず」と同様に自分に対するメリットになることも多いです。ただ、「来世のために善行・徳を積む」と考えるのは少し違いのでは?、との発想です。私自身もこの考えを学んだあとでも、“陰徳”を積むように心がけております!それは自分の心の豊かさにつながるからなのかもしれませんが。

「神様による価値観・目的づけを失った人間において、その意味(生きがい)を何によって見出すべきか」という(自分で作成した)超難題に、なんとか答えようとするところがニーチェの偉大なる所以と考えました。

参考文献
ニーチェ (原著), 堀江一郎 (著), 十常アキ (著). ツァラトゥストラはかく語りき. まんが学術文庫 2018年
飲茶. 飲茶の 最強!のニーチェ. 水王舎、2017年
ニーチェ著、氷上英廣訳. ツァラトゥストラはこう言った. 岩波文庫 1967年
竹田青嗣. ニーチェ入門. ちくま新書 1994年